睡蓮,一個好鄰居的故事

睡蓮(すいれん)

橫光利一

(譯自青空文庫)

翻譯:王志鎬

那還是十四年前的事情。家里造房時,木工來與我洽談選何處地皮。因尚未想好哪個地方特別喜歡,我回答想去二三個合適的地方看看。過了兩三天,木工又來了,說是有一處位于下北沢的地皮,建議我現(xiàn)在就去看一看。說起北沢,我想起以前確實有一次朋友向我透露,如果我打算建房,想推薦北沢一帶的地皮。我急于想去那兒看看,就馬上與木工一起出了門。

もう十四年も前のことである。家を建てるとき大工が土地をどこにしようかと相談に來た。特別どこが好きとも思いあたらなかったから、恰好(かっこう)なところを二三探して見てほしいと私は答えた。二三日してから大工がまた來て、下北沢(しもきたざわ)という所に一つあったからこれからそこを見に行こうという。北沢といえば前にたしか一度友人から、自分が家を建てるなら北沢へんにしたいと洩(も)らしたのを思い出し、急にそこを見たくなって私は大工と一緒にすぐ出かけた。

將近秋天的日暮時分,當(dāng)我們換乘了幾次電車來到北沢時,看到原野上的田間小道旁,白色的茶花佇立在薄暮中。

“就在這里吧?到底在哪里呢?”

木匠在一塊高崗上平坦的農(nóng)田中停住了腳步,他臉上的神情表明,這不是特別令人滿意的地皮。所見之處均為種著芋頭的平平常常農(nóng)田,周圍有櫸樹和杉樹的森林,附近沒有人家。對于生氣時動輒大聲怒斥的我,這似乎是個好安排。如果在氣憤的時候,因顧慮周圍鄰居而大氣也不敢出,裝模作樣的,那么我在家里就有失去自由的危險。而且,這一帶雖然不是什么稀奇的地方,看頭一眼已經(jīng)厭倦了,所以心里有安定感,于是我一個人決定了:在這里居住就是最好的選擇。

 秋の日の夕暮近いころで、電車を幾つも乗り換え北沢へ著いたときは、野道の茶の花が薄闇(うすやみ)の中に際(きわ)立って白く見えていた。

「ここですよ。どうですかね」

大工は別に良いところでもないがといった顔つきで、ある高臺の平坦な畑の中で立ち停った。見たところ芋の植(うわ)っている平凡な畑だったが、周囲に欅(けやき)や杉の森があり近くに人家のないのが、怒るとき大きな聲を出す私には好都合だと思った。腹立たしいときに周囲に気がねして聲も出さずにすましていては家に自由のなくなる危険がある。それに一帯の土地の平凡なのが見たときすでに倦(あ)きている落ちつきを心に持たせ、住むにはそれが一番だとひとり定めた。

? “到底怎么決定?如果中意的話,回去跟地皮的主人交涉吧?!?/p>

? “好,就選在這里吧!”

? 事情就這樣,馬上與地皮主人定了下來。于這年年末先將房子蓋了起來,然后將一家人遷移過來。因為周圍景色很平常,善于觀察周圍特殊性的我,用自己的眼睛細(xì)細(xì)打量著自然環(huán)境。被森林包圍著的道路,幾乎不能通行。有時走過魚鋪,四周一片寂靜。從早春冒出新芽開始,經(jīng)常看見有兩位年輕夫婦走過。兩人像是在散步,丈夫的兩只手插在背后的腰帶上,仰臉瞧著樹木,樂呵呵地慢慢走著,妻子倚在丈夫的旁邊,臉上洋溢著笑容。我看著他們,覺得有一株特別的光線照在這對夫婦身上。雖然兩人看來不像是生活富裕的人,可是我一眼就看出他們是相貌堂堂,脊背挺直,互相信任,互相熱愛,十分滿足的樣子。一邊走,一邊看著陽光從嫩葉之間直射下來的前方,兩人滿足的身影,即使從遠(yuǎn)處看來,也是少有的充滿幸福的感覺。到今天為止,我好幾次看見樂呵呵的夫婦來到這里,從未見過像這兩人那樣目不斜視,互相堅守著不可摧殘的幸福的夫婦了,從那以來,我變得特別注意他們。盡管一次也沒有說話的機會,可是不久我打聽到丈夫是陸軍監(jiān)獄的看守,每天早上騎自行車去衙門上班,妻子在附近幫女人做針線活,一旦漸漸了解了,我對這兩位十分特別的人的生活越發(fā)引起了興趣。

「どうしますか。お気に入ったら帰りに地主の家へいって交渉してみますが」

「じゃ、ここにしよう」

こういう話でその土地は地主ともすぐ定められた。そして、その年の暮に家も先(ま)ず建って私たちの一家は移って來た。周囲の景色が平凡なため、あたりの特殊性を観察する私の眼も自然に細(xì)かく働くようになった。森に包まれている道も人はあまり通らず、ときどき魚屋が通るほどの寂しさだったが、春さきの芽の噴き始めたころから若い夫婦が二人づれで通るのをよく見かけるようになった。この二人は散歩らしく良人(おっと)の方は両腕を後の帯にさし挾み、樹木を仰ぎ仰ぎゆっくりと楽しそうに歩き、妻君の方はその傍(そば)により添うようにして笑顔をいつも湛(たた)えていた。私は見ていてこの夫婦には一種特別な光がさしていると思った。二人とも富裕な生活の人とは見えなかったが、劣らず堂々とした立派な風(fēng)貌(ふうぼう)で脊(せい)も高く、互に強く信じ合い愛し合っている満足した様子が一瞥(べつ)して感じられた。晴れた日など若葉の間を真直ぐに前方を見ながら來る二人の満ち足りたような姿は、遠(yuǎn)くから見ていても?。à蓼欤─艘姢胄腋¥饯Δ柿激じ肖袱坤盲俊=瘠蓼扦椁馑饯蠘Sしげな夫婦を幾つも見て來ているが、この二人ほど、他所見(よそみ)をせず、壊(こわ)れぬ幸福をしっかり互に守っているらしい夫婦はあまり見なかったのでそれ以來、特に私は注意するようになった。話す機會は一度もなかったが、間もなく良人の方は陸軍刑務(wù)所の看守で朝毎に自転車で役所へ通うということや、細(xì)君の方は附近の娘たちに縫物(ぬいもの)を教えているということなど、だんだん分って來ると、またその特殊な二人の生活が一層私の興味を動かした。

我從進出蔬菜店的小伙計的嘴里得知,丈夫的名字叫加藤高次郎,他們住在離我家約兩條街道遠(yuǎn)的伯爵庭院中的小屋里,還從小伙計的嘴里得知一些其他的事情,那就是蔬菜店的老主婦對加藤高次郎那漂亮的身影,每天早上都看得發(fā)呆,如癡如醉??傊呀?jīng)到了老年的蔬菜店的主婦,每天早上對踩著木屐經(jīng)過的高次郎氏的身影看得如癡如醉的事情,連我也一同理所當(dāng)然地認(rèn)可了。除了高次郎氏的容貌是美男子之外,毫無疑問,也是人格美的表現(xiàn)所致。老年婦人可不是只是將他看作一個混賬美男子而入迷。

主人の方の名を加藤高次郎といい、私の家から二町ほど離れたある伯爵の庭の中の小さな家にいる人だということも、出入りの八百屋の小僧の口から私は知ることが出來た。またその小僧の口から、八百屋の老いた主婦が加藤高次郎氏の立派な姿に、朝ごとにぼんやり見惚(みと)れているとまで附け加えて語ったことがある。とにかく、もう老年の八百屋の主婦が、朝毎にペダルを踏んで通る高次郎氏の姿に見惚れるというようなことは、私もともに無理なく頷(うなず)くことが出來るのである。高次郎氏の容貌(ようぼう)には好男子ということ以外に、人格の美しさが疑いもなく現(xiàn)れていたからだった。老年の婦人というものはただの馬鹿な美男子に見惚れるものではない。

我有這樣的想法?!藗冊谏钪腥绻蛔魈貏e的觀察,無所事事,就那樣相信由自然反映的周圍人們的身影,那么跟誰都已死去毫無差別。所以我常常感到,比起用特殊的眼光在旁邊進行觀察分析,有時常常會感到也許是不正確吧。高次郎氏的故事也是如此,我當(dāng)然不能站在旁邊用自己的眼睛來進行觀察,以下只是根據(jù)我所留下的印象自然而然地反映出來的事情,以此寫下了他的故事。

 私はこんなに思うことがある。――人間は生活をしているとき特に観察などをしようとせず、ぼんやりとしながらも、自然に映じて來た周囲の人の姿をそのまま信じて誰も死んでしまうものだということを。そして、その方が特に眼をそばだてて観察したり分析したりしたことなどよりも、ときには正確ではなかろうかということをしばしば感じる。高次郎氏のことにしても、私は眼をそば立てて注意していたわけではなく、以下自然に私の眼に映じて來たことのみで彼のことを書きたいと思う。

? 高次郎氏是軍人中相當(dāng)著名的劍客的事,我有所耳聞,其曾經(jīng)努力做到平安無事。表面上高次郎氏沉默無言、低三下四,性格貌似庸庸碌碌。由于我所在的地方周圍一帶風(fēng)景看上去極為普通,所以我馬上選擇這塊地并下定決心移居,正好與那風(fēng)景似乎適合似的,出現(xiàn)了高次郎氏的身影,一定是自然喚起了他的興趣,無論哪一方面,我選擇的這個地方好處多多,他應(yīng)該很喜歡。我有時工作疲倦,半夜一邊用一只火盆烤著手,一邊聽著雨夾雪降落的聲音,這時候突然想到高次郎氏現(xiàn)在正做些什么,即使旁人不說,有時候他在我心中成了一個泡沫似的縈回的人影。有一天,從我家的二樓往下看的地方,大約隔開二十間的茶園之一隅被拆掉,石頭被往那里集中,不足十坪的基石正在夯實,能聽到那里的喊叫聲。

? “是在蓋房子嗎?是街坊第一次蓋房子嗎?”


 高次郎氏は軍人の間ではかなり高名な剣客だということも、私の耳にいつか努力することなく聞えて來た。見たところ高次郎氏は無口で聲も低く、性格も平凡なようだった。私のいるこのあたり一帯の風(fēng)景が極(きわ)めて平凡に見えたがために、私は即座にこの地を選んで移り棲(す)む決心をしたのであったから、ちょうどその風(fēng)景に適合したように現(xiàn)れて來た高次郎氏の姿も、自然な感興を喚(よ)び起したにちがいないが、いずれにせよその方が私にはこの地を選んだ甲斐(かい)もあったと喜ぶべきである。私はときどき仕事に疲れ夜中ひとり火鉢(ひばち)に手を焙(あぶ)りながら、霙(みぞれ)の降る音などを聞いているとき、ふと高次郎氏は今ごろはどうしているだろうと思ったりすることもあって、人には云わず、泡のように心中を去來する人影の一人になっていたころである。ある日、私の家の二階から見降せる所に、二十間ほど離れた茶畑の一隅が取り払われ、そこへ石つきが集って十坪にも足らぬ土臺石を突き堅めている聲が聞えて來た。

「家が建つんだなア。近所へ建つ最初の家だ。あれは」

我剛對妻子說了這些話,就有蔬菜店的小伙計走來,告訴我那里是高次郎氏的房子在建。自己家旁邊不認(rèn)識的人家在蓋房子的時候,我心里惦記著他是何來路。突然我心里感到明朗起來,我知道那是高次郎氏的家??墒窍蛳驴慈?,他家的地皮比我窄小的家還要狹窄,與富麗堂皇毫不相稱,我不斷地從這里向下看,倒不是我家二樓房間在他家上方聳立而感到相映成趣。我苦笑了,因為這件事使我為難。無緣無故讓自己喜歡的人永久地感到生氣,那么選擇這塊土地是違反了我初衷。

こんなことを私は家內(nèi)と話していると、また八百屋の小僧が來て、そこへは高次郎氏の家が建つのだと告げていった。自分の家の傍へ知らぬ人の家の建つときには、來るものはどんな人物かと気がかりなものだが、それが高次郎氏の家だと分ると急に私は心に明るさを感じた。しかし、また小さな私の家よりはるかに狹い彼の家の敷地を見降して、堂々たる風(fēng)貌におよそ似もつかぬその小ささに、絶えずこれから見降さねばならぬ私の二階家が肩の聳(そび)えた感じに映り、これは困ったことになったと私は苦笑した。故(ゆえ)もなく自分の好きな人物に永久に怒りを感じさせるということはこの土地を選んだ最初の私の目的に反するのである。

暫且不談高次郎氏成了我家最初的鄰居,將近年底時,我將自己的家從樹木林立的伯爵家庭院中,搬到了明亮的茶園中的自己家里。高次郎氏家是一座單薄而狹小的平房,他如果要伸腿的話,腳像要從板壁里伸出來似的。我每次從邊上經(jīng)過,總覺得其中有注意自己的視線,因擔(dān)心受到斥責(zé)而返回。不久周圍建筑工地連成片,我擔(dān)心肯定會有一天將逼到底的高次郎氏家的平和破壞了。

ともかく高次郎氏は最初の私の家の隣人となって、暮のおし迫ったころ樹木の多い伯爵家の庭の中から明るい茶畑の中の自分の家へ移って來た。高次郎氏が足を延ばせば壁板から足の突き出そうな、薄い小さな平家(ひらや)だった。私は傍を通るたびに、中を注意したがる自分の視線を叱(しか)り反(かえ)して歩くように気をつけたが、間もなく周囲に建ち並んで來るにちがいない大きな家に押しつめられ氏の家の平和も破れる日が來るのではないかと心配になることもあった。

早晨離家時,我見過一兩次高次郎氏,他嘴里叼著敷島煙,飛快地騎著自行車,心情舒暢的樣子。他妻子和子夫人把將背后上方的門閂插上,穿著鼠灰色看守人衣服的丈夫送出門口。

“一路走好,一路走好!”

接連不斷地說著,揮著手,站在電線桿邊,直到看不見丈夫為止。不管是下雨還是下雪,她的身影每天早上都不會變。這位新鄰居主婦愛情的細(xì)致,讓我妻子許久也回不過神來,無論如何也成不了對頭吧,她死心了,馬上回到了前面。

“對不起,我責(zé)備你的時候大聲叫嚷,我想如果這樣沒錯的話,那就不好了?!?/p>

我與妻子面面相覷,笑著。于是,我想,高次郎先生被電車撞飛,一定是他謄寫完自己的歌集的當(dāng)晚的歸途。對我來說,高次郎先生的死已經(jīng)不是別人的事了,而是一種新的沖擊,就像火燒在身上一樣。高次郎端坐在那里,握著毛筆謄寫自己的作品,作為一種面對末日世界的一種態(tài)度,他的形象早已成為文人最為本懷的東西。我仿佛一劍落在刀刃上,此刻只能眺望著這位劍客的離去。

高次郎先生去世一周年紀(jì)念日即將到來。前幾天,我的妻子說他看到加藤家的一只貓,把我家的兔子給咬死了,面容憔悴,用骯臟的手來回覓食。偶爾我也想看看那只貓。

我還和妻子面面相覷,笑了。從二層建筑朝問平房的對面,我們都有壓迫的拘謹(jǐn)感,但實際上,這種不斷地從下面搖晃而產(chǎn)生的滑稽感,一年到頭都不間斷地持續(xù)著。我家里的女傭也經(jīng)常拿加藤家和我家做比較,

“我結(jié)婚的時候,想和那樣的丈夫結(jié)婚。”

 朝家を出るとき敷島を口に咥(くわ)え、ひらりと自転車に乗るときのゆったりした高次郎氏の姿を私の見たのは一度や二度ではなかった。また細(xì)君のみと子夫人が、背中の上の方に閂(かんぬき)のかかった薄鼠色の看守服の良人を門口まで送って出て、

「行ってらっしゃい。行ってらっしゃい」

 と高くつづけさまに云って手を振り、主人の見えなくなるまで電柱の傍に立ちつくしている姿も、これも雨が降っても雪が降っても毎朝変らなかった。私の家內(nèi)もこの新しい隣家の主婦の愛情の細(xì)やかさが暫(しばら)くは乗りうつったこともあったが、とうてい敵ではないとあきらめたらしくすぐ前に戻った。

「どうも、お前を叱るとき大きな聲を出したって、ここなら大丈夫と思って來たのに、これじゃ駄目だ」

と私は家內(nèi)と顔見合せて笑ったこともある。二階建から平屋の向うを圧迫する気がねがこちらにあったのに、実は絶えず下から揺り動かされている結(jié)果となって來た滑稽(こっけい)さは、年中欠かさず繰りつづけられるのであった。私の家の女中も加藤家と私の家とをいつも比較していると見えて、

「あたくし結(jié)婚するときには、あんな旦那(だんな)様と結(jié)婚したいと思いますわ」

無意中泄漏了妻子。不僅是蔬菜店的老主婦,我家的女傭?qū)υ缟喜戎ò曜叱鋈サ母叽卫上壬膊煌ЧЬ淳吹鼐瞎R苍S正因為如此,女傭還養(yǎng)成了一個習(xí)慣,每天早上都不忘在墻外拔草。這位女傭過了兩年完全變了樣。下一位女傭似乎也對加藤夫婦的和睦感到吃驚,對圍墻外的拔草工作也是勤勤懇懇。因為自詡為顏值不錯,村里的年輕人都吵得不可開交,那些性格有點蠻橫的,有一天也對老伴說:

“加藤家的太太是愛吃醋的。剛才那老爺出門的時候,我跟他說了一句話,太太就暗暗盯上了我?!?/p>

 とふと家內(nèi)に洩(もら)したことがあった。八百屋の老主婦ばかりではなく、私の家の女中も朝ペタルを踏んで出て行く高次郎氏には、丁寧にお辭儀をするのを忘れない風(fēng)だった。そのためもあろうか女中は塀(へい)の外の草ひきだけは毎朝早く忘れずにする癖も出來た。この女中は二年ほどして変ったが次に來た女中も、加藤夫妻の睦(むつま)じさには驚いたと見え、塀の外の草ひきだけはまめまめしく働いた。顔自慢で村の若者たちから騒がれたこともあるとかで、幾らか橫著な性質(zhì)だったから、ある日も家內(nèi)に、

「あのう加藤さんところの奧さんは、やきもちやきですわね。さっきあそこの旦那さんのお出かけのとき、一寸(ちょっと)旦那さんに物を云いましたら、奧さんがじろっとあたしを睨(にら)むんですのよ」

女傭用很好笑的聲音告狀道。不過,這位女傭也沒多久就出嫁了。到了那個時候,我家附近的森林全部被砍掉了,空地上比我家大的房子一間接一間地拔地而起。因此,正如預(yù)想的那樣,加藤家呈現(xiàn)出一種似有似無的景象,正在凹陷下去。但這對夫妻倆的感情之深厚,與以前沒有絲毫變化。去澡堂的時候,兩個人也是關(guān)上門,一起帶著臉盆出門,再并列而歸。高次郎先生的官廳回來時,夫人一定會去很遠(yuǎn)的地方迎接他。在越來越多的小杜鵑花和金盞花等盆栽樹的小院子里,高次郎正在觀賞花朵,他的身旁經(jīng)常能看到跟他說些悄悄話的和子夫人。這兩個人結(jié)婚不知有多少年了,可是從和我做鄰居第三年的時候起,不知怎的,和子夫人的身體竟大得引人注目了。

 とこの女中はさも面白そうな聲で告げ口した。しかし、この女中も間もなく嫁入りをした。そのころになると、私の家の附近いったいの森はすべて截(き)り払われ、空地には私の家より大きな家が次ぎ次ぎに建ち出した。そのため予想のように加藤家はあるか無きかのごとき観を呈して窪(くぼ)んでいったが、夫妻の愛情の細(xì)やかさは、前と少しも変りはなかった。銭湯へ行くときでも二人は家の戸を閉め一緒に金盥(かなだらい)を持って出かけ、また並んで帰って來た。高次郎氏の役所からの帰りには必ず遠(yuǎn)くまで夫人は出迎えにいっていた。小さな躑躅(つつじ)や金盞花(きんせんか)などの鉢植(はちうえ)が少しずつ増えた狹い庭で、花を見降している高次郎氏の傍には、いつも囁(ささや)くようなみと子夫人の姿が添って見られた。この二人は結(jié)婚してから幾年になるか分らなかったが、私の隣人となって三年目ごろのあるときから、何となくみと子夫人の身體は人目をひくほど大きくなった。

“現(xiàn)在才有孩子嗎?加藤先生一定很高興?!?/p>

當(dāng)我說這些話的時候,奇怪的是我家里也有出生的預(yù)感,這一天天成為事實。在此之前,我每年只去加藤家拜年一次,對方也只是應(yīng)接不暇地來。我可以用謙遜的心情想象在大街上遇到的我的妻子與和子夫人暗中的目光。

“到底哪個早?家里的?”當(dāng)我聽到送走和子夫人丈夫的聲音時,我也曾向妻子詢問過,但加藤家比我家早一點。其次是我家的二兒子。沒過兩年,加藤家的二女兒又出生了。

「今ごろになってお子さんが出來るのかしら。加藤さんの旦那さん喜んでらっしゃるわ。きっと」

 こういうことを家內(nèi)と云っているとき、奇妙なことにまた私の家にも出生の予感があり、それが日ごとに事実となって來た。それまでは、私は年賀の挨拶(あいさつ)に一年に一度加藤家へ行くきりで向うもそれに応じて來るだけだったが、通りで出會う私の家內(nèi)とみと子夫人のひそかな劬(いたわ)りの視線も、私は謙遜(けんそん)な気持ちで想像することが出來た。

「いったい、どっちが早いんかね。家のか」

 と私はみと子夫人の良人を送り出す聲を聞いた朝など家內(nèi)に訊(たず)ねたこともあったが、加藤家の方が少し私の家より早かった。次ぎに私の家の次男が生れた。すると、二年たらずにまた加藤家の次女が生れた。

不知不覺間,我家周圍的房屋四面八方,院子里來玩的不認(rèn)識的孩子們的數(shù)量每年都在增加。加藤家的兩個前額上有靜脈凸出的女孩也經(jīng)?;煸谄渲?。不知從哪里來的孩子們出來的時候,賣給我家宅基地的地主也死了。鄰居家的主婦,還有鄰居的鄰居家的主婦,也不日亡故了。于是,那位亡故的鄰居家的斜對面的主婦也沒多久就死了。后面這一帶的鄉(xiāng)紳中,有三對夫婦齊集的長壽之家,其中的主人也死了。

就在這一天,加藤家又生了第三個孩子,那是第一個男孩。父親早晨踏著自行車出去后,傳來孩子們把高次郎送出去的熱鬧的聲音,和夫人的聲音一樣,一如既往地傳來。事實上,我已經(jīng)聽了有十幾年了:

“一路走好,一路走好?!?/p>

 いつの間にか私の家の周囲には八方に家が建ち連り、庭の中へ見知らぬ子供たちの遊びに來る數(shù)が年毎に増えて來た。それらの中に額に靜脈の浮き出た加藤家の二人の女の子もいつも混っていた。どこから現(xiàn)れて來るものか數(shù)々の子らの出て來る間にも、私の家の敷地を貸してくれた地主が死んだ。また隣家の主婦も、またその隣家の主婦も日ならずして亡(な)くなった。すると、その亡くなった斜め向いの主婦も間もなく死んでしまった。裏のこのあたり一帯の大地主に三夫婦揃った長壽の家もあったが、その真ん中の主人も斃(たお)れた。

 こんな日のうちに加藤家ではまた第三番目の子供が生れた。それは初の男の子だった。朝ペタルを踏み出す父の後から、子供たちの高次郎氏を送り出す賑(にぎ)やかな聲が、夫人の聲と一緒にいつものごとく変らずに聞えていた。実際、私はもう十幾年間、

「行ってらっしゃい。行ってらっしゃい」

這樣呼喚加藤家精神飽滿的聲音,不知聽了多少次了。每一次,我都覺得高次郎先生離開這個充滿愛意的家時,他那滿足的神情,一定會傳達(dá)給許多囚犯們什么。說起這家人的不幸,我想,恐怕只是因為我家調(diào)皮的老二,讓女孩子哭個不停吧。不知道從哪兒傳來一個女孩子的哭聲,我就從樓上跑了出來,“又來了!”這老二的惡作劇真難對付。這樣的事情雖說是孩子的事情,但我總覺得這是加藤家和我家不和的暗流涌動,也許孩子對從長年累月下一直在二樓房子里搖搖欲墜的加藤家進行了自然的報復(fù)。

“哎呀,別把那孩子弄哭了?!?/p>

 とこう呼ぶ加藤家の元気の良い聲をどれほど聞かされたことかしれぬ。その度(たび)に私は、この愛情豊かな家を出て行く高次郎氏の満足そうな顔が、多くの囚人たちにも何か必ず伝わり流れていそうに思われた。この家の不幸なことと云えば、見たところ、恐らく私の家の腕白な次男のために、女の子の泣かされつづけることだけではなかろうかと私は思った。どこからか女の子の泣き聲を聞きつけると、私は二階から、「またやったな」と乗り出すほどこの次男のいたずらには梃擦(てこず)った。このようなことは子供のこととはいえ、どことなく加藤家と私の家との不和の底流をなしているのを私は感じたが、それも永い年月下からこの二階家を絶えず揺りつづけた加藤家に対して、自然に子供が復(fù)讐(ふくしゅう)していてくれたのかもしれぬ。

「こらッ、あの子を泣かしちゃいかんよ」

我這樣經(jīng)常對自己的二兒子說,可是二兒子說:

“那孩子,哭了?!闭f著,又把他逗樂似地弄哭了。一年去高次郎那里拜年,我也說:“不知道今年還會做些什么,請多關(guān)照吧。”這大概也包含了我謝罪的意思。這所房子一開門就一步也沒進,可馬上又要開門,我感到了一種奇怪的麻煩,門檻也一年比一年高。只有出來的和子夫人的笑臉和最初的時候一點也沒變。

 私はこんなに自分の次男によく云ったが、次男は、

「あの子、泣きみそなんだよ」と云ってさも面白そうにまた泣かした。高次郎氏の所へ一年に一度年賀の挨拶に私の方から出かけて行くのも「今年もまた何をし出かすか分りませんから、どうぞ宜敷(よろし)く」と、こういう私の謝罪の意味も多分に含んでいた。この家は門の戸を開けると一歩も踏み込まないのに、すぐまた玄関の戸を開けねばならぬという風(fēng)な、奇妙な面倒さを私は感じ敷居も年毎に高くなったが、出て來るみと子夫人の笑顔だけは最初のときと少しも変らなかった。

我和高次郎先生也沒有碰面的機會。在月色晴朗的夜晚,一聽到明笛的聲音,孩子們就說那是加藤的叔叔啊,我就想和他一起唱一首明治時代的歌。

高次郎氏成為看守長的那年秋天,漢口陷落了。那天傍晚吃飯的時候,大兒子突然從外面回來了, 他說:“加藤家的叔叔,被擔(dān)架抬回來了,臉上蓋著手帕?!?我和我老伴立刻直覺到高次郎先生的意外死亡。

“你怎么了?我沒問你?!?/p>

 高次郎氏とも私は顔を合すというような機會はなかった。月の良い夜など明笛(みんてき)の音が聞えて來ると、あれ加藤の小父さんだよと子供の云うのを聞き、私も一緒に明治時代の歌を一吹き吹きたくなったものである。

 高次郎氏が看守長となった年の秋、漢口(かんこう)が陥(お)ちた。その日夕暮食事をしていると長男が突然外から帰って來て、

「加藤さんところの小父さん、擔(dān)架に乗せられて帰って來たよ。顔にハンカチがかけてあった」と話した。

 私と家內(nèi)は咄嗟(とっさ)に高次郎氏の不慮の死を直覚した。

「どうなすったのかしら。お前訊(き)かなかった」

面對老伴的提問,孩子一臉沒有任何興趣地回答:“不知道?!痹谕饨缈磥?,高次郎先生并沒有什么有趣的地方。但他是個篤實的人,因此在失落的喜悅中,他在某處舉行了酒宴。我想象他在回家的路上,會不會被汽車撞得暈暈乎乎的。那么,我想這的確是一種光榮的戰(zhàn)死,于是我馬上上樓,向加藤家低頭看了看。然而,整個家只是在落葉的高大梧桐下靜悄悄地沉靜下來。那一夜,仿佛夜色密密麻麻地垂在附近,一片寂靜。我感到火盆里的木炭也是一個人準(zhǔn)備守夜的寂寞。第二天早上,二兒子說:

“加藤先生的小叔叔,喝完酒回來,被電車撞死了?!彼终f。

 家內(nèi)の質(zhì)問に子供は何の興味もなさそうな顔で「知らん」と答えた。外から見てどこと云って面白味のない高次郎氏だったが、篤実な人のことだから陥落の喜びのあまりどこかで酒宴を催し、ふらふらと良い気持ちの帰途自動車に跳(は)ねられたのではなかろうかと私は想像した。それならこれはたしかに一種の名譽の戦死だと思い、すぐ私は二階へ上って加藤家の方を見降した。しかし、家中は葉を落した高い梧桐(あおぎり)の下でひっそりと物音を沈めているばかりだった。そのひと晩は夜の闇が附近いちめんに密集して垂れ下って來ているような靜けさで、私は火鉢につぐ炭もひとり通夜の支度をする寂しさを感じた。すると、次の朝になって次男が、

「加藤さんの小父さん、お酒飲んで帰って來たら、電車に突き飛ばされて死んじゃったんだって」とまた云った。

“不對,他還活著?!?這一次,長子強烈地否定了這是怎么回事。

“死了,他說死了。” 老二又提高了嗓門,一直對長子說。我不知道到底是哪一個,反正是意外的事情,我也不敢去打聽,就這樣呆在那里。第二天,高次郎家就開始埋葬了。

我讓妻子去加藤家燒香后,看著成群結(jié)隊地沉在滿弄堂的電線桿旁的許多穿著看守服裝的人。這時,我突然想起了四五天前看到的,加藤家的一只半白的貓咬住了我家兔子的脖子的時候,它的身姿就像鉆過籬笆逃跑的脫兔一樣快。

「違うよ。まだ生きてるんだよ」

 と長男が今度はどういうものか強く否定した。

「死んだんだよ。死んだと云ってたよ」

 とまた次男は聲を強め倦(あ)くまで長男に云い張った。どちらがどうだかよく分らなかったが、とにかく不慮の出來事のこととてこちらから訊ねに行くわけにもいかずそのままでいると、その翌日になって高次郎氏の家から葬(とむらい)が出た。

 私は家內(nèi)を加藤家へお焼香にやった後、小路いっぱいに電柱の傍に群れよって沈んでいる、看守の服裝をした沢山な人たちの姿を眺めていた。そのときふと私はその四五日前に見た、加藤家の半白の貓が私の家の兎(うさぎ)の首を咥(くわ)えたと見る間に、垣根(かきね)を潛(くぐり)り脫けて逃げた脫兎(だっと)のような身の速さを何となく思い出した。

高次郎先生的意外死亡似乎還正像是孩子們所堅持的,是喝醉后從最后一班電車跳了下來,馬上住院了,當(dāng)時因為內(nèi)出血過多,第二天就去世了。因為和子夫人是縫紉高手,所以不必?fù)?dān)心高次郎死后的生活,看著也覺得事情有點太殘酷了的這個家。在那之后,加藤家很快歸他人所有了。于是一家人就像流水一樣,悄悄地搬到了高次郎氏和他夫人的家鄉(xiāng)城島。

 高次郎氏の不慮の死はやはり子供たちの云い張ったようだった。酔後終電車に跳ねられてすぐ入院したが、そのときはもう內(nèi)出血が多すぎて二日目に亡くなったということである。みと子夫人は裁縫の名手だから高次郎氏の死後の生活の心配は先ず無くとも、見ていても出來事は少しこの家には早すぎて無慙(むざん)だった。加藤家はその後すぐ人手にわたった。そして一家は高次郎氏やみと子夫人の郷里の城ヶ島へ水の引き上げてゆくような音無(おとな)しさで移っていった。

三個月的意外死亡的味道潛伏在四周,使我寂寞址站在二樓。有一天,美和子夫人寄來了一本貧苦的歌集《香奠返禮》。被收納的和歌少之又少,但全都是高次郎先生的遺作。我一直以為他是劍客,當(dāng)?shù)弥€是一位和歌人時,突然感到一種身邊人臨死前的緊張感,于是先翻開一本簡陋的集子讀了一遍。

“宵月今在雪山之端,見其冴色,夕之依依?!?/p>

“傍晚的黑暗中,映入眼簾的山百合的幽香,清晨綻放?!?/p>

 三カ月は不慮の死の匂いがあたりに潛んでいる寂しさで私は二階に立った。ある日みと子夫人から、香奠返(こうでんがえし)に一冊の貧しい歌集が屆いた。納められた中の和歌は數(shù)こそ尠(すくな)かったがどれもみな高次郎氏の遺作ばかりだった。私は氏を剣客だとばかり思っていたのにそれが歌人だったと知ると、俄(にわか)に身近かなものの死に面したような緊張を感じ、粗末な集を先ず開いたところから読んでみた。

「宵月は今しづみゆき山の端(は)におのづ冴(さ)えたる夕なごり見ゆ」

「夕暗(ゆふやみ)に白さ目につく山百合(やまゆり)の匂ひ深きは朝咲きならむ」

我以為高次郎先生是在月夜吹奏明笛的劍客,所以是一個相當(dāng)優(yōu)雅的人,但是,一看到這兩首歌,我就會發(fā)現(xiàn),一直以來以不祥的色彩出現(xiàn)在淀上的加藤家的一角,突然吹起爽朗的光芒,充滿清風(fēng)而來,這讓我想起了端正衣領(lǐng)的心情。

“冷得發(fā)冷,晚上睡在床上,摸著我的床上用品?!?/p>

“我的妻子在井邊洗東西,胃口好吐的聲音就會沖上來?!?/p>

 月夜に明笛を吹いた剣客であるから相當(dāng)に高次郎氏は優(yōu)雅な人だと私は思っていたが、しかし、これらの二首の歌を見ると、私は今まで不吉な色で淀(よど)んで見えた加藤家の一角が、突然爽(さわ)やかな光を上げて清風(fēng)に満ちて來るのを覚え襟(えり)を正す気持ちだった。

「冷え立ちし夜床にさめて手さぐりに吾子の寢具かけなほしけり」

「井の端にもの洗ひ居(を)る我が妻は啖(たん)吐く音に駆けてきたれる」

這首歌等,高次郎先生的胃口大吐的聲音,也讓人對他身邊的孩子夫人的日常生活有所泛泛,但并不是這些歌,每首歌都有人格的圓滿,格調(diào)的強化和提高。對于生活的謙虛清澈的意趣,以及竭盡全力為自己和別人祈禱幸福的真摯心境等,和歌中的精神遠(yuǎn)比作為鄰居看待的高次郎先生的溫厚質(zhì)樸的態(tài)度更為深刻。

 この歌など高次郎氏の啖吐く音にも傍まで駆けよって來るみと子夫人の日常の様子が眼に泛(うか)んで來るほどだが、これらの歌とは限らず、どの歌も人格の円満さが格調(diào)を強め高めているばかりではない、生活に対して謙虛清澄な趣きや、本分を盡して自他ともどもの幸福を祈ってやまぬ偽りのない心境など、外から隣人として見ていた高次郎氏の溫厚質(zhì)実な態(tài)度以上に、はるかに和歌には精神の高邁(こうまい)なところが鳴りひびいていた。

許久以來,我對自己的伙伴默默地用鋤頭鉆進這里的內(nèi)部生活充滿了濃厚的興趣,悄悄讀完了高次郎先生的歌集。吟詠妻子和孩子的歌曲自不必說,還有四季的關(guān)心,職務(wù),人事,以及對囚犯身世的了解,以及對愛情的美好等等,大約一百三十二首歌,對于我來說,一句也不能隨便讀下去。雖說我們兩人除了拜年以外,從來沒有交談過,但都是十多年來的老資格。在這本歌集的序文中,一位歌唱大師寫道,加藤高次郎君是在劍道之后才進入和歌的,雖然還不到十幾年,但他的精神卻如此之高,這是令人驚嘆的。對我來說,高次郎先生的每一首歌,不僅都是我能想到的,而且都是他去世后向我生動地搭話的聲音。我準(zhǔn)備探身傾聽。

 暫くの間、私はこのあたりに無言でせっせっと鍬(くわ)を入れて來た自分の相棒の內(nèi)生活を窺(のぞ)く興味に溢(あふ)れ、なお高次郎氏の歌集を読んでいった。妻を詠(うた)い子を詠う歌は勿論(もちろん)、四季おりおりの気遣(きづか)いや職務(wù)とか人事、または囚人の身の上を偲(しの)ぶ愛情の美しさなど、百三十二ほどのそれらの歌は、読みすすんでゆくに隨(したが)い私には一句もおろそかに読み捨てることが出來ないものばかりだった。私ら二人は新年の挨拶以外に言葉を交(まじ)えたことはなかったとはいえ、どちらも十幾年の月日を忍耐して來た一番の古參である。この歌集の序文にも加藤高次郎君は剣道よりも後から和歌に入りまだ十幾年とはたたぬのに、かくも精神の高さにいたったことは驚歎に価すると歌の師匠が書いているが、私には、高次郎氏の歌はどの一首も思いあたることばかりだったのみならず、すべてそれは氏の亡くなってから私に生き生きと話しかけて來る聲だった。私は身を乗り出し耳を傾ける構(gòu)えだった。

“心系一劍,不知身之赤裸裸?!?“擺好正眼與敵人對著干,試探一下對方的呼吸?!?這是戶山學(xué)校的劍道大會優(yōu)勝時緊張的劍客的歌。接下來是這樣的。 “習(xí)慣了一天天的生活,但求苦差事的心情很舒暢?!?這首歌恐怕與早已習(xí)慣了美子夫人情愛的高次郎先生的悔恨不同吧。我不太知道寫出這樣的歌的和歌人,但是我也經(jīng)常有同樣的悔恨來折磨我。

「一剣に心こもりておのづから身のあはだつをかそかに知れり」

「正眼に構(gòu)えて敵に対(むか)ひつつしばし相手の呼吸をはかる」

 これは戸山學(xué)校の剣道大會に優(yōu)勝したときの緊張した剣客の歌である。次にこういうのがあった。

「ことたれる日日の生活(たつき)に慣れにつつ苦業(yè)求むる心うすらぐ」

 この歌は恐らくみと子夫人の情愛に、いつとなく慣れ落ちてしまった高次郎氏の悔恨に相違あるまい。このような歌を作った歌人はあまり私の知らないところだが、また私にも同様の悔恨が常に忍びよって來て私を苦しめることがある。

“現(xiàn)身的脆弱生命的思緒,卻不能消除平常的謹(jǐn)慎?!?這大概是不斷注視著囚犯的人回到家中的述懷吧,而這種述懷又積累成了下面這樣一首歌,襲擊了人們的心。 “把活生生的身體砍下來,讓囚犯的心清醒過來?!?除此之外,看守長的慈愛還在繼續(xù)。以偶爾為題, “我不是重口的人,今天又是一句恭維話,心不陰?!?這個人在內(nèi)心躁動的日子里,總是習(xí)慣吟誦哀嘆的詩歌,其中之一, “自己有沒有身體的感覺呢?對別人的錯誤,心里就這么亂?!?/p>

「現(xiàn)身(うつしみ)のもろき生命(いのち)の思ひつつ常のつつしみかりそめならず」

 これは囚人を絶えず見守っている人の家に帰った述懐であろうが、この述懐がつもり積って次のような歌となり、人人の心を襲って來るのが一首あった。

「生きの身をくだきて矯(た)めよ囚人(めしうど)の心おのづとさめて來たらむ」

 看守長のなさけはまだこの他にも幾つとなくつづいていた。折にふれてと題して、

「口重き吾(われ)にもあらず今日はまたあらぬ世辭言ひ心曇りぬ」

 この人は心の騒ぐ日、いつも歎き悲しむ歌を詠むのが習(xí)慣となっているが、その一つに、

「己が身の調(diào)(ととの)はざるか人の非にかくも心のうちさわぎつつ」

這樣的說法。我想起自己也經(jīng)常來過這樣的日子,而且?guī)资陙韼缀鯖]有遇到別人的錯誤,居然這么多年來一直保持著這種忍耐。現(xiàn)在回想起自己,不禁感慨道。 “我為上司的厚愛而鞠躬盡瘁?!?想到高次郎先生,這首歌也并非謊言。我最近深切地感到,即使是這樣的心靈人物中的一個人,也會遭受死亡的損失。但是,對于那些反抗上司的技術(shù)開始培養(yǎng)出尊重個性這一美名的現(xiàn)代人來說,古人的這顆心該有多大的影響呢?我常常對現(xiàn)在青年心中的陰暗、沒有好處可言的理性主義感到不合理。我想,我的孩子要是這樣的話,你的時代就沒戲了,于是繼續(xù)念下一首歌。 “我的池塘,白花花的睡蓮,看不見被移來移去的樣子?!?/p>

 というのがある。私は自分にもこんな日がしばしば來たばかりか、他人の非に出あわぬ朝とて幾十年の間ほとんどないのを思いよくも永年(ながねん)この忍耐をしつづけて來たものだと、我が身をふり返って今さら感慨にふけるのだった。

「上官のあつきなさけに己が身を粉とくだきて吾はこたへむ」

 この歌も高次郎氏を思うと噓ではなかった。私はこのような心の人物の一人でも亡くなる損失をこのごろつくづくと思うのだが、上官に反抗する技術(shù)が個性の尊重という美名を育て始めた近代人には、古代人のこの心はどんなに響くものか、私は今の青年の心中に暗さを與えている得も云われぬ合理主義に、むしろ不合理を感じることしばしばあるのを思い、私の子供にこれではお前の時代は駄目になるぞと叱る思いで、次の歌を読みつづけた。

「移されしさまにも見えずわが池の白き睡蓮(すいれん)けさ咲きにけり」

加藤高次郎先生的這本歌集的題目叫做“水蓮”。這是高次郎先生的歌的師傅起的題目,這個老師把高次郎先生的“睡蓮”當(dāng)作水睡,這樣寫著。 “加藤君曾經(jīng)根據(jù)水蓮,說有過受人生委托教導(dǎo)的事,深切地漏(也)了的事。前些年,在政府機關(guān)(監(jiān)獄)的庭院里建造的池塘里,曾請所長先生將一株水蓮分根種植。這水蓮移到監(jiān)獄池塘里來,一點也不變。還是充分發(fā)揮了水蓮的個性,開出了那可愛的美麗花朵。這水蓮惹人憐愛的花姿打動了加藤君的靈魂。人無論多么偉大的人,一旦被轉(zhuǎn)到監(jiān)獄,態(tài)度就會變。然而,水蓮卻毫不理會被移走的事實。大自然多么偉大啊。如果可能的話,我也想像這水蓮花一樣,即使遇到什么樣的事件也不要動心。這就是加藤君從水蓮中領(lǐng)悟到的心境?!?/p>

 加藤高次郎氏のこの歌集は題して「水蓮」という。これは高次郎氏の歌の師匠のつけた題であるが、この師は高次郎氏の「睡蓮」について睡を水としたまま次のように書いている。

「加藤君がかつて水蓮によって、人生をいたく教えられたことがあると言って、しみじみと洩(も)らされたことがあった。先年役所(刑務(wù)所)の庭に造った池に、所長さんの処から一株の水蓮を根分けしていただいたことがある。この水蓮は刑務(wù)所の池へ移されて來ても、少しもかわるところがない。やはり水蓮としての性を十分発揮してその可憐(かれん)なやさしい美しい花を開いているではないか。この水蓮の可憐な花の姿に加藤君は魂をうたれた。人間であればいかなる偉い人でも、刑務(wù)所へ移されると態(tài)度が変ってしまう。それなのに水蓮は移されたことも知らぬ顔に咲き誇っている。なんたる自然の偉大さであろう。出來得べくんば自分もこの水蓮の花のように、如何(いか)なる事件に逢おうとも心を動かすことなくありたい。これが加藤君の水蓮によって悟入した心境であった」

師父是深知弟子之心的,而高次郎先生也一定是像水蓮一樣的人,在師父眼中。這本遺歌集的最后兩首,又像是氏的最后一首,留下了成熟而透明的痕跡。 “忍者拂曉,小夜烏,高高地飛向西邊?!?“大物打醒,梧桐枯葉凄涼” 高次郎先生的師傅還在這本歌集的卷末說:有一天晚上,加藤君在從政府機關(guān)回來的路上,突然來找我,說是想把雜志上登的自己的歌全部謄寫一遍,坐著一直到深夜才謄寫完。之后兩人喝了酒,踏上歸途,第二天接到加藤病危的消息,第二天就去世了。書中寫道,雖說人生如朝露,但由于過于勞累,自己也會因此而喪失自我。

 師匠というものは弟子の心をよく知っているものだが、高次郎氏もまた、水蓮のような人として師の眼に映じていたにちがいない。この遺歌集の最後の二首は、また氏の最後のものらしく円熟した透明な名殘(なご)りをとどめている。

「しののめはあけそめにけり小夜烏(さよがらす)天空高く西に飛びゆく」

「大いなるものに打たれて目ざめたる身に梧桐(あをぎり)の枯葉わびしき」

 高次郎氏の師匠はさらにこの歌集の巻末に、加藤君はある夜役所の帰りに突然私の所へ來て、雑誌に出た自身の歌を全部清書したいからと云い、端座したまま夜更(よふけ)までかかって清書をし終えた。その後で酒を二人で飲んで帰途についたが、翌日加藤君の危篤の報に接し、次の日に亡くなった。人生朝露のごとしといえあまりのことに自分は自失しそうだと書いてあった。

于是,我想,高次郎先生被電車撞飛,一定是他謄寫完自己的歌集的當(dāng)晚的歸途。對我來說,高次郎先生的死已經(jīng)不是別人的事了,而是一種新的沖擊,就像火燒在身上一樣。高次郎端坐在那里,握著毛筆謄寫自己的作品,作為一種面對末日世界的一種態(tài)度,他的形象早已成為文人最為本懷的東西。我仿佛一劍落在刀刃上,此刻只能眺望著這位劍客的離去。 高次郎先生去世一周年紀(jì)念日即將到來。前幾天,我的妻子說他看到加藤家的一只貓,把我家的兔子給咬死了,面容憔悴,用骯臟的手來回覓食。偶爾我也想看看那只貓。

 してみると、高次郎氏が電車に飛ばされたのは、自分の歌集を清書し終えたその夜の帰途にちがいないと私は思った。私には高次郎氏の死はもう他人の事ではなく、身に火を放たれたような新しい衝撃を感じた。一度は誰にも來る終末の世界に臨んだ一つの態(tài)度として、端座して筆を握り自作を清書している高次郎氏の姿は、も早や文人の最も本懐とするものに似て見え、はッと一剣を浴びた思いで私はこの剣客の去りゆく姿を今は眺めるばかりだった。

 高次郎氏が亡くなってからやがて一周忌が來る。先日家內(nèi)は私の家の兎を食い殺した加藤家の貓が、老窶(おいやつ)れた汚(きたな)い手でうろうろ食をあさり歩いている姿を見たと話した。私は折あらば一度その貓も見たいと思っている。

2024.4.29.

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